「就職・転職の悩みと相談」

■ 好きな仕事だが給料が安い場合はどうする?

 これは今までの回のQ&Aとは異なり私自身の体験です。転職の失敗体験につながるものです。

 私の最初の就職についてはガラスメーカーでした。これについては後日詳しくお話ししたいと思います。最初の配属は商品開発部の商品計画課というところで企画系の職場で私にはよい職場でした。しかしその後営業部に異動になり、営業が苦手で目標達成などで苦しみ、かつ、営業の正攻法ではなく、代理店への卸営業が中心であるところから接待営業で在庫を持ってもらうなど目先の売上拡大になりがちで嫌気がさし退職を決意しました。物の営業は自分自身の適性に合わず人に関する仕事の方が向いていると感じました。

 そこで関心のあった文化関係の仕事の求人を新聞広告で見つけ就職しました。文化関係の財団法人で旧文部省許可の法人で、少ないながら文部省の予算がつき、また、レコード会社などの企業寄付が若干あったところです。仕事は青少年の文化芸術の鑑賞普及ということで、10数名の規模の団体でした。
 仕事は主として「青少年文化劇場」という名称だったと思いますが、演劇や音楽の番組企画をして地方の県の教育委員会へ営業し、予算をつけてもらい、その地方自治体の小学校・中学校の鑑賞教育として学校へ巡回公演をする企画でした。しかし、公的予算がつかない場合は、直接地方の小学校・中学校へ営業して学校別に契約する仕事をする必要がありました。
 そのため私は担当となった中国地方の鳥取県、島根県、山口県を飛び込み訪問で学校の校長先生、教頭先生へ営業してその場で予約をするかなり強い営業を成功させることができました。劇団の制作部の仕事がこのようなものだと後日知りました。

 そのような仕事がやれたのも好きだった分野だからできたのでしょう。また、成人向けのに中国地方の教育委員会の社会教育部門へ行き、落語やコンサート、講演などの営業をやりました。また営業以外に公演・講演の本番の出演者の東京からの同行やステージでの司会進行などもやりました。マネージャーの仕事ですね。

 しかし、20代も半ばを過ぎると将来のことを考えるようになりました。団体は公的補助金も少なく公益事業を展開するには財政基盤が弱かったと思います。また、民間の市場で売るほどの番組をもってはいませんでした。
 先輩たちを見ると皆共働きか独身でした。家族を養うだけの十分な給料ではなかったと思えます。仕事も経営者の指示で寄付金集めに変更され、なおさら事業の展望をなくしました。経営者自身もなかなか展望は持ちにくかったと思います。
 同期入社の友人は親もいなかっため経済的要素を重視し、仕事の面白さよりも経済的基盤を重視し、スーパーの西友ストアに転職しました。私も結果として結婚を考えるようになり転職を決意しました。
 やはり仕事は長く続けられることが重要と思います。

                  キャリアコンサルタント    上田信一郎
                  
                  ライフワークカレッジ http://lifework.dnserve.com/
E-mail lifework_ueda@yahoo.co.jp